明治 p.禅髑髏画 ー尾竹 竹坡
明治 p.禅髑髏画 ー尾竹 竹坡
Item Code: Z013
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「聖人も最後は無に帰す」この句は、武将や聖人が用いた犀配の杖に包まれた髑髏の上を蟻が這う様子を描いた大竹竹巴の表情豊かな作品に添えられています。本図は、粗い紬絹本に墨で描かれ、骨のローラーで縁取りされています。サイズは43.2cm×209.5cm(17×82.5インチ)で、全体的に良好な状態です。木箱に収められています。
大竹竹巴(1878-1936)は新潟に生まれ、後に偉大な画家として名声を博す三兄弟の一人であった。竹巴は天才的な画家で、4歳より笹田雲石に師事し、初期の花鳥画で高い評価を得た。後に東京で川端玉章に師事し、大胆でダイナミックな作風で知られる明治・大正期の著名な画家として頭角を現した。1907年、第1回文展に入選し、その後も賞賛を浴び続けた。1909年の文展では「きのこ狩り」(現在は紛失)が三等賞、「音ずれ」(1910年)と「水」(1911年)が二等賞を受賞した。しかし、アカデミックな「校風」との対立や兄弟自身の妥協を許さない性格が、挫折を招いた。1913年、二人とも文展に落選し、その後、大竹三兄弟による合同展を開催した。美術界の体制に幻滅すると同時に、自らの制作活動の刷新を模索し、辰巳画会で実験的な作品を発表、後に未来派とも交流を深めた。大正末期には前衛美術グループ「八花会」の設立に尽力し、初出品作79点中59点という圧倒的な作品数を手掛け、自己改革への決意を示した。しかし、同グループは3回目の展覧会を最後に解散し、その後、帝展に無審査で出品されたものの、大きな反響を呼ぶことはなかった。晩年には目黒雅叙園のために大型の装飾作品を制作し、その作品の多くは今日まで同園に展示されている。彼の生涯は、初期近代日本絵画の活気と、変化し続ける美術機関を生き抜くための試練の両面を反映している。
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