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Tenryu Dojin

ブドウ by So Ryu ー草龍、天龍 道人 「緑珠凝ペースト圖」

ブドウ by So Ryu ー草龍、天龍 道人 「緑珠凝ペースト圖」

Item Code: F079

税込。

宗龍作「果実をつけた粋なブドウの房」。傷のある古紙を明治期の様式で芥子色の絹で表装。サイズは70×195cm(27.5×77インチ)。軽度の折れ目があります。天龍道人、あるいはその弟子の作である可能性が高くなります。

天龍道人(1718-1810)は肥前鹿島藩の庶子として生まれ、家老の子として育てられました。14歳の時、家中の不祥事で浪人となります。15歳頃、肥前安国寺の泰武和尚に師事し仏門に入り、その後長崎に渡り南蘋派の熊井熊四郎に師事し医学と絵画を学びました。19歳頃、京都に出て万里小路守房の養子となり、善明院と号し法親王に仕えました。勤王派の竹内式部と交流を深め、様々な号を用いて倒幕王政復古運動に参加しました。 41歳の時、政変が失敗し、多くの忠臣が流刑に処されたが、それでも志士の心は折れず、50歳の時、再び第二事件と呼ばれる陰謀に巻き込まれる。この陰謀の首謀者たちは処刑され、天龍道人は信州の山岳地帯へと逃れた。そこで身分や出自を隠し、名を変えて残りの人生をこの地に潜伏した。諏訪湖から流れる天龍川に感化され、天龍道人と名乗り、絵画制作に没頭した。波乱に満ちた初期の人生とは対照的に、晩年は諏訪で穏やかで思索に満ちたものとなった。静かな孤独な生活を送り、しばしば沈黙の中で瞑想にふけり、ひらめくと絵を描いたり詩歌を詠んだりした。地元の高島藩では重宝され、高遠や伊那にも絵を描くために出向いた。90歳の時、目を病み、一時筆を折った。 92歳で足を病み、以来「石角山(せっかくざん)」と称した。文化7年(1810年)、93歳で逝去。鷹と葡萄を描いた作品で知られる。1960年には根津美術館で個展が開催された。

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