Edo p. Aka-Raku Chawan by Tea Master Gengensai ー赤楽茶碗 玄々斎 天元窯
Edo p. Aka-Raku Chawan by Tea Master Gengensai ー赤楽茶碗 玄々斎 天元窯
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¥268,000 JPY
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表面からわずかに浮かせた高台が付いた 美しい深紅の楽茶碗です。裏千景茶道流派 第11代宗家、玄々斎作と銘打たれた木箱入りです。茶碗は傑作で、内側には目立つ隆起があり 茶筅で茶を点てるのに最適な茶摺を形成する小さな窪みがあります。高台に沿って底部に作者独特の花王の銘が刻まれています。直径は12cm、高さは9.5cmで状態は良好です。
精中宗室 玄々斎(1810-1877)は、日本で劇的な政治的、文化的変化が起きた明治時代(1868-1912)に生きた茶匠です。この激動の時代は、徳川幕府の崩壊、天皇の京都から新首都 東京への遷都、日本が西洋文明を全面的に取り入れ 近代国家へと発展する時代でした。こうした状況の中での玄々斎の主な功績としては、新政府を説得し 茶道を文化的、精神的追求として公式に認めさせることに成功したことが挙げられます。玄々斎は、テーブルと椅子を使用する立礼式の茶の湯の創始者とも言われていて、新時代に茶道を活気づけた功績から "茶道中興の祖" と呼ばれることが多いです。玄々斎は仁徳斎の養子であり、実父は 徳川家の前身である松平家の流れを汲む荻生松平家の7代目当主でした。玄々斎は9歳の時に仁徳斎の養子となりましたが、仁徳斎の子供は女の子しかおらず すでに50歳になっていました。仁徳斎は 養子となった息子が大名家出身であることを考慮し、当時の教科書に載っている様々な分野の学問や 詩歌、音楽、その他の伝統的な文化的洗練について教育を施すよう配慮しました。仁徳斎は7年後に死去し、玄々斎はわずか16歳で裏千家の家元となりました。