波のブロンズ鯉 ー山川 考次 "銅製鯉像"
波のブロンズ鯉 ー山川 考次 "銅製鯉像"
Item Code: K344
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上質な木製の台の上に乗せられた、泡立つ波間に泳ぐ銀メッキの青銅製の置物一式です。それぞれ腹に山川考次の署名があり、大きな桐の展示箱に収められています。2匹の魚は美しく描かれ 動きに満ちており、それぞれ長さは約30cmで、ウェーブベースのサイズは40 x 25 x 25 cmです。木製台のサイズは50.5 x 28.5 x 5 cmで 全て良好な状態です。サイズにより送料が別途発生します。
山川家は近世から近代にかけて金属加工の先駆者でした。初代 山川考次(名・八十吉、1828-1882)は金沢に生まれ、11歳で柳川春茂(江戸の名工・横谷宗民の弟子)に弟子入りし 腕を磨きました。13代藩主 前田斉泰の治世の1862年、藩主の刀の金具を作る銀細工師に任命され、その卓越した技から「加賀宗珉」の称号を得ました。その技法は 優美で洗練された彫り目を持ち、職人技の頂点に達したと評されました(宗軒奇書)。1873年、明治政府は日本として初めてウィーン万国博覧会に公式参加するため 金沢の金工たちに出品物の製作を依頼しました。山川は 山尾次六、水野源六、平岡忠蔵、鈴木嘉平とともに 職人集団のリーダーに抜擢され、1877年(明治10年)に長谷川準也を社長として銅器会社(のち金沢銅器会社と改称)を設立。同社は金沢の金属工芸品を世界に発信しました。山川は 同社で中核的な役割を担い、宮内庁や国内外の博覧会に出品する作品の監修にあたりました。その功績は、1876年(明治9年)のフィラデルフィア万国博覧会で銅器が賞を受けたことや、1877年(明治10年)の第1回内国勧業博覧会で「金沢銅器工」として栄誉ある鳳凰章を受賞したことなどです。二代目 山川考次(1860-1930)は 初代に弟子入りし、その技術を習得しました。銅器会社の職人として働き、 1892年頃に会社が解散した後 自ら工房を開き、多くの弟子を育てました。三代目 山川孝次(1884-1938)は東京美術学校で学んだ後、家業を継ぎましたが 1938年に死去し、山川家は断絶しました。
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