Wooden Suzuri Bako Writing Box ー山元 春挙 “椎松”
Wooden Suzuri Bako Writing Box ー山元 春挙 “椎松”
Item Code: K1500
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山本 春挙による若松が描かれた繊細な春慶塗の小箱です。本人の署名入りの木箱に収められており、蓋の裏には松ぼっくりと散らばった松葉が作家の署名と花押に添えられています。箱の中には珍しい形をした金蒔絵の縁取りの硯がはめ込まれており、同じく帝室技芸員である初代 伊東 陶山による葉っぱ型の陶器の水滴が入っています。箱は薄い桐材でできており、木目がはっきりと見えるように薄い透明な赤漆で覆われています。サイズは23.5 x 26 x 4 cmで状態は良好です。
山本春挙(1871-1933)は明治から昭和初期にかけて活躍した近代京都画壇の主要な画家の一人でした。円山四条派の主要人物でありながら革新に意欲的で、特に有名な風景画において写真や西洋の絵画技法を日本画に取り入れ、その名を馳せました。滋賀県大津市 膳所に生まれ、幼少期に漢学を学んだ後 12歳頃から絵画の世界に入り、遠縁の画家である野村文挙に師事し、春挙の雅号を授けられました。文挙が東京に移った後も、円山四条派の大家である森寛斎のもとで修行を続けました。彼はすぐに並外れた才能を発揮し、10代の頃から展覧会で賞を受賞しました。1891年には竹内栖鳳や菊池芳文とともに京都青年絵画研究会を再興し、すぐに京都の美術界で影響力のある人物となりました。国内外で幅広く展覧会に出品し、ドイツ、パリ、シカゴの国際博覧会にも参加しました。1894年に森寛斎が亡くなった後、春挙は京都に自身の画室を設立し彼の名声を確立する独立したキャリアを歩み始めました。1899年には京都市立工芸学校 (今日の京都市立芸術大学の前身)の教員に任命されました。その後 京都市立絵画専門学校の教授を務め、重要な画家たちを育て上げました。彼のキャリアの転機は1904年のことでした。ルイジアナ万国博覧会でデザインと美術教育を学ぶために米国に派遣されたのです。病気のためヨーロッパへの滞在は叶いませんでしたが、この旅は彼の芸術的視点に深く影響を与えました。
帰国後、彼は日本画では前例のない方法で空気遠近法を用いた一連のモノクロ山水画を制作しました。「ロッキーの雪」や「冬の夕暮れ」などの作品は、日本と西洋の絵画思想の融合に成功したことを示し、近代風景画の大きな進歩を告げました。1907年に政府主催の文展が設立されると、春挙はその審査員の一人に任命されました。彼の地位は高まり続け1917年には帝室技芸員に任命され、1919年には帝国美術院の会員に任命されました。皇太子 裕仁親王 (後の昭和天皇)の立太子礼のための絵画や、昭和天皇の大嘗祭の屏風絵など 皇室から数々の名誉ある依頼を受けました。海外でも高く評価され、1926年にはパリのリュクサンブール美術館に「雪渓山村」を寄贈した後、フランスのレジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与されました。この時期、彼はフランス大使で詩人のポール・クローデルと親交を深めました。壮大さと繊細さ、詩的な雰囲気を兼ね備えた、記念碑的でありながら叙情的な風景画で有名でした。彼の鮮やかで透明感のある青色の顔料は非常に特徴的で、今日でも「春挙ブルー」として知られており、この独特な色をどのようにして作り出したのか、その正確な方法は謎に包まれています。直接観察という円山四条派の伝統にしっかりと根ざしながらも光、遠近法、写実主義に対する西洋のアプローチも取り入れ非常に個人的で現代的な絵画言語を生み出しました。
絵画以外にも春挙は驚くほど幅広い関心を持っていました。彼は禅宗を実践し、ユーモラスな詩や俳句を書き、茶道や書道を追求し、熱心な登山家であり写真家でもありました。実際 彼は芸術活動に体系的に写真を取り入れた最初の日本人画家の一人であり、スケッチ旅行にはかさばる写真機材を持ち運びました。構図の補助や滝や雲などの自然現象の研究に写真を使用していました。彼は京都の写真のパイオニアの一人となり、京都アマチュア写真協会の会長を務めました。また、歴史ある膳所焼の伝統を復活させる上で重要な役割を果たし、地元の陶芸家を支援し 大津の最も著名な陶芸の遺産の一つを再確立するのに貢献しました。1914年、春挙は湖畔の隠居所である蘆花浅水荘の建設を開始し、琵琶湖を見下ろす広大な数寄屋造りの別荘へと徐々に拡張していきました。この邸宅は現在、日本の重要文化財に指定されており、国東宮やポール・クローデルを含む芸術家、貴族、著名なゲストの集いの場となりました。春挙は晩年まで活動を続けました。1933年3月には「深山春景」と「阿蘇高原」を出品しましたがその後すぐに京都で病に倒れ、1933年7月12日に61歳で亡くなりました。彼の作品は京都市美術館、東京国立近代美術館、ボストン美術館など、数多くの美術館に収蔵されています。
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