Tadpoles Blossom, 1934 Ink painting by Poet ー臼田 亞浪 "山櫻"
Tadpoles Blossom, 1934 Ink painting by Poet ー臼田 亞浪 "山櫻"
Item Code: F154
受取状況を読み込めませんでした
臼田 亞浪によるこの遊び心のある作品は、風に舞う花のように水面に散るオタマジャクシを描いたものです。1934年7月の署名が入った木箱が付属します。「山桜」と題されたこの作品は梅雨明けのオタマジャクシを水面に散る花びらに例えています。作者は詩の中で、梅雨明けのオタマジャクシを水面に散る花びらに例えています。本幅は38.5 ×203 cmで全体的に良好な状態です。
臼田 亞浪 (1879-1951)は 明治から昭和にかけての俳句の先駆者であり、独自の視点で近代俳句の形成に貢献しました。1879年に長野県小諸市に生まれ、小諸義塾を経て1904年に和仏法律学校 (現 法政大学)を卒業。学生時代には与謝野 鉄幹に短歌を、高浜 虚子に俳句の指導を受け、古典と現代詩の両面から詩を学びました。電信通信記者、横浜産業新聞編集長を経て、大和新聞社に入社。1915年には大須賀乙字と雑誌『しゃくなげ』を創刊し、俳壇に躍り出ました。また、信濃毎日などの新聞選者も務めた。恩師・虚子のホトトギス流と河東碧梧桐の新潮俳句の両方を声高に批判した臼田は、俳句界の根本的な改革を訴えました。松尾 芭蕉や上島 鬼貫を例に挙げ、真の俳句は自然との直接的な関わりから生まれると主張し 実体験に根ざした日本独自の美意識を体現した詩の創作を目指しました。1916年に大和新聞社を退職し作詞に専念しました。子はなかったが、1919年に姉の死後 6歳の姪を養子に迎えました。1918年に共同創刊者の大須賀と不和になったことが転機となったが、「しゃくなげ」は1945年3月10日の東京大空襲で印刷所が破壊され、一時休刊するまで活動の中心であり続けました。家族と共に西多摩に疎開し、後に印刷所を長野市に移転し 1946年に「しゃくなげ」を再興しましたが、同年に妻を亡くしました。1951年、73歳で脳出血のため亡くなるまで執筆活動と指導活動を続け、しゃくなげを通して大野林火、篠原梵、栗生純夫、田中弥助といった多くの弟子を育て、20世紀の俳句界に永続的な足跡を残しました。
共有
