服部 峻昇

服部春章(としお、1943-2018)は、1943年1月6日、京都市下京区に呉服店主服部庄太郎とその妻うのの三男として生まれる。中学校の美術教師の勧めで、1958年、京都市立日吉丘高等学校(後のDODA、現在の京都市立高等工芸学校)漆芸科に入学。そこで漆芸家・水内恭平、平石明弘に師事。1961年、卒業制作として制作した漆パネル《美人》が教育委員会賞を受賞。同年、京都の中村デザイン事務所に入社し、1965年まで創作活動を続けた。1962年、漆パネル女》が第14回京都展に入選し、初入選を果たす。 1963年、第6回新日展に漆板《夜行者》で入選。1964年、第17回京都工芸美術展に初出展し、常連となる。同年、現代漆芸研究団体「秀玄会」に入会し、漆板《飛翔》を出品。以降、毎年参加。秀玄会主宰の伴浦省吾氏に師事。1965年、蒔絵を学ぶため上原清氏に師事。

1969年、第22回京都クラフト美術展で優秀賞、1970年、二曲一双屏風《花象図》で第22回京都展市長賞を受賞。同年、伊藤雄二、鈴木正也(三代目鈴木兵作)と共に京都の若手漆芸家グループ「Forme」を設立。60年代から70年代にかけての前衛芸術運動の影響を受け、 Formeはアクリルやカシュー漆といった新素材を漆芸に積極的に取り入れ、また、戦後の技術革新によって可能になった下地の自由さを試した。これにより、より製造しやすく、より応用しやすい象嵌が数多く生み出された。また、この時代は世界が少し狭くなり、作家たちはメキシコやニュージーランドなど遠く離れた地からも材料を入手できるようになった。 1978年に解散するまで、このグループは伝統的な漆の技法と現代の素材を融合させる実験的なアプローチを追求しました。

1972年、第4回日展で二曲一双屏風《太陽核》で特選賞を受賞。1975年、文化庁在外研修員としてスウェーデン・コンスタンチノープル国立高等美術アカデミー、フランス・SWヘイター版画工房で1年間、欧米で版画を学ぶ。

服部春章展「幾何学」デジタルカタログ